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    壮大でドラマティック、ラスベガスの歴史!!!

    • 2016.07.18 Monday
    • 22:22

    写真:ラスベガス・ダウンタウン(1948年)

     

     

     

    この章は、通常の「アメリカ放浪記」の日記とは異なる特別なチャプターです。

     

    個人的に世界で一番〜思い入れのあるアメリカの街として、ネバダ州のラスベガスがある。

     

    この砂漠のエンターテインメントの街に、これまでの人生で都合7回ほど滞在した。

     

    ラスベガスでの滞在記は、これまでの「アメリカ放浪記」で詳細に語ったので、

     

    今回は、そのラスベガスの歴史を個人的な意見(主観)は排除して、私が知り得た情報、資料と共に公開していくつもりです。

     

    今現在(2016年)、私は日本在住で、アメリカ・ラスベガスはおろか〜自分の住む街からもろくに出れない状況にある。

     

    この次、ラスベガスに行けるのは、いつになるか分からないが、

     

    ここで、ラスベガスの歴史を記しておくのもいい考えだと思った訳です。

     

    なるべく〜年代順に、読みやすく楽しく〜をモットーに壮大なラスベガスの物語をこの章で記しておきたい。

     

    以下に記したように主な出来事や主要な人物を背景にこの章〜「ヒストリー・オブ・ラスベガス」は展開していきます。

     

     

     

     

    1844年〜 ルート開拓者のJ・C・フリーモントら一行が現在のラスベガスを発見する。 

     

    1855年〜 モルモン教徒30名がラスベガスに入植。

     

    1864年〜 ネバダ州がアメリカで36番目の州となる。

     

    1869年〜 ネバダ州でのギャンブルが合法化

     

    1895年〜 スロットマシンの第1号機(リバティ・ベル)が誕生。

     

    1905年〜 ラスベガスに鉄道が開通・街としてスタートする。

     

    1935年〜 ラスベガス近郊にフーバー・ダムが完成。

     

    1947年〜 バグジー・シーゲルがラスベガス大通りに〜「フラミンゴ・ホテル」をオープン。

     

    1967年〜 実業家のハワード・ヒューズがラスベガスのカジノを次々と買収。

     

    1973年〜 スティーブン・ウィンが〜「ゴールデン・ナゲット」の社長に。

     

    1989年〜 スティーブ・ウィンがラスベガス大通りに3,044室の巨大カジノ・ホテル〜「ミラージュ」をオープン。

     

    1995年〜 ラスベガス市の人口が100万人を突破する。

     

    2016年〜 ラスベガスとその周辺都市を含めた人工は200万人を超える。

     

    ざっと、年代記を記してみても、

     

    やはり〜この街の歴史のキーワードは、マフィアがカジノを支配した暗黒時代、そして〜フーバー・ダムの建設〜誕生もラスベガスの歴史の中で、とてつもなく大きな分岐点だった。更には巨大なカジノ・ビジネスの火付け役となった〜バグジー・シーゲル、ハワード・ヒューズ、そして〜現在までのラスベガスを牽引する天才実業家〜スティーブ・ウィン・・・。

     

    各年代のキーワードとなる出来事や、各時代のキーパーソンにスポットを当てながら、

     

    華麗でエキサイティングなラスベガスの歴史を、これから皆さんにたっぷりと〜ご紹介していきたいと思います。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    ラスベガスの発見からネバダ州の誕生。

    • 2016.07.24 Sunday
    • 22:51

    写真:ラスベガス・ダウンタウン(1940年)

     

     

    現在のラスベガスにあたる場所が初めて発見され地図上に記載されたのは、

     

    1829年にさかのぼる。

     

    当時はまだ、メキシコの一部だったこともあり、この地域には南部パイウテ族と呼ばれるインディアン部族が、

     

    今のラスベガスの中心部にあたる場所を水汲み場として利用していたそうです。

     

    この小さな砂漠のオアシスはその時(1829年)、毛皮商人〜アントニオ・アルミホの一行(約60名)によって、

     

    カリフォルニアに抜ける近道として発見され地図に記載された。

     

    この地点では、将来〜ラスベガスとなる場所は、サンタフェ〜ロサンゼルス間のただ水の出る休憩所だった。

     

    この時〜現在のラスベガスの姿を一体〜誰が想像しただろうか?

     

    次に来る大きなターニング・ポイントは、

     

    1864年だ。

     

    そう、アメリカ合衆国の第36番目の州として、ネバダ州が誕生したことだ。

     

    それ以前〜ユタ州西部の一部だったネバダ地区ではもともとギャンブルは重罪と定められていたが、

     

    初代知事に就任したブラスデルによって、ギャンブルを軽犯罪とする法律に変更された。

     

    こうして、砂漠の小さな水汲み場は、ネバダ州ラスベガスとして認知されることになった。

     

    ギャンブルを許容できる砂漠の街。

     

    そう、この頃早くもラスベガスという街の骨格は、すでに形成されていたのだ。

     

     

     

     

     

     

     

     

    1931年〜ネバダ州でギャンブルが合法化。

    • 2016.07.30 Saturday
    • 00:03

    写真:ラスベガス・ダウンタウン(1953年)空に浮かぶ〜白い雲のような物体は、なんとネバダ核実験場で上がる原爆のキノコ雲だというから、驚きです!

     

     

     

    1905年、市としてスタートしたラスベガス。

     

    東西を結ぶ拠点として鉄道駅が開通すると、この地に初のホテル〜「ホテル・ラスベガス」(全30室)がオープン。

     

    1905年という年がまさにラスベガスにとってのスタートの年であるのだが、実はこの年(1905年)にその後のラスベガスの街のキーパーソンとなる2人のある重要人物が誕生している。

     

     

    ニューヨーク州でバグジーこと「ベンジャミン・シーゲル」が、そして〜テキサス州で「ハワード・ヒューズ」という2人の人物がこの年に誕生しているのも不思議な運命のめぐり合わせのようで、実に面白い。

     

    そして〜時は流れて、1931年3月19日、

     

    ネバダ州においてギャンブルが正式に合法化されると同年4月には、近郊でフーバー・ダムの建設がスタート。

     

    2年後の1933年には、禁酒法も撤廃され、

     

    この年(1931年)を境にしてラスベガスは、

     

    ギャンブルの合法化、フーバー・ダム建設による人口増加という追い風にも乗り人類史上〜実に稀にみるほどの急速な発展ぶりを遂げていくのだ。

     

    そして〜ここから10数年後、

     

    ひとりの男が、この街の運命を更なる究極の理想郷へと押し上げていくことになる。

     

    男の名は、

     

    ベンジャミン・シーゲル。

     

    バグジー(虫けら)と恐れられたニューヨーク・マフィアの大物である。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    バグジー・シーゲルとその時代

    • 2016.08.05 Friday
    • 00:06

    写真:フリーモント・ストリート〜ラスベガス・ダウンタウン(1953年)

     

     

     

    さて、前回までは〜ラスベガスの街の誕生からギャンブルが合法化された1931年までの話だった。

     

    ここからは、ラスベガスの歴史で最も重要な3人の人物。

     

    ベンジャミン・シーゲル(マフィア)、ハワード・ヒューズ(大富豪)、スティーブ・ウィン(実業家)の3人にスポット当てながら話を進めていこう。

     

    まずは、バグジー(虫けら)こと、ベンジャミン・シーゲル。

     

    1905年ニューヨーク州生まれで、10代の頃からすでにギャング団を組織していたバグジーは、

     

    殺人の請負から密造酒の流通までこなす、札付きの悪党だった。のちにニューヨークマフィアの大ボスとなるメイヤー・ランスキーとも親しくなり、ランスキーの頭脳とバグジーの短気で冷酷な性格と実行力を得た若きマフィア・グループは、まさに無敵だった。

     

    バグジーは、ひどくナルシストで自惚れの強い男で、実際かなりのハンサムだった。

     

    ハリウッド映画好きで、俳優のジョージ・ラフトの手引きもあり、

     

    やがてロサンゼルスの映画撮影所に頻繁に出入りするようになった。

     

    そこでバグジーは、1人の女優に出会い一目で恋に落ちた。その女優の名は通称〜「フラミンゴ」と呼ばれたバージニア・ヒル。

     

    バグジーとフラミンゴが初めて出会ったのは〜1937年でバグジーはこの時すでに既婚者だったのだが、バージニア・ヒルとの恋が〜後々のラスベガスの歴史を大きく変えることになる。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    1944年〜暗黒時代の幕開け

    • 2016.08.12 Friday
    • 00:00

    写真:ラスベガス大通り沿いのリゾートカジノ〜デザート・イン(1950年)

     

     

     

    ラスベガスの歴史を語るうえで、

     

    ニューヨーク・マフィアのバクジー・シーゲルは間違いなく〜その中の主人公の1人だと申し上げたが、

     

    今回は〜そのバグジー・シーゲルがラスベガスの街にやってきたところから話を始めたい。

     

    バグシーがニューヨークからラスベガスにきた年、

     

    1944年。

     

    この年こそが、ラスベガスの暗黒時代の幕開けだと定義しておこう。

     

    ベガスにやってきたバグジーがまず最初に着手した仕事は、既存のカジノ・ホテルの買収だった。

     

    買収と言えば〜聞こえはいいが、その手段はまさしくヤクザそのもの〜実際には暴力や恐喝によって、

     

    むりやり上納金を納めさせ、共同経営者になるという手口だったそうだ。

     

    こうして僅か1年足らずの間に、バグジー・シーゲルはベガスの主要ホテルをその手中に収めた。勿論〜ニューヨークからバグジーをコントロールしていたのは、大ボスのメイヤー・ランスキーだったのだが。バグジーもメイヤー・ランスキーの手先だった訳だ。

     

    この時期(44年〜45年)、バグジー〜ニューヨーク・マフィアのコントロール下に落ちたラスベガスの主要〜カジノ・ホテルはラスト・フロンティア、モンテカルロ・クラブ、エルランチョ・ラスベガス、ラスベガス・クラブ、ゴールデン・ナゲットなどが挙げられる。

     

    1944年〜この年、即ち〜バグジー・シーゲルがラスベガスに登場した年こそが、

     

    マフィアによるラスベガス支配〜暗黒時代の幕開けだ。

     

    以降〜その支配は1983年にスターダスト・ホテルが営業停止になり、全米トラック協会(チーム・スター・ユニオン)がラスベガスから撤退するまでの約40年間に渡り続くことになる。

     

    1945年〜名立たるカジノ・ホテルの買収(略奪?!)に成功したバグジー・シーゲル。

     

    だが、

     

    彼の夢〜幻想はまだ続いていた。

     

    ラスベガスの砂漠にバグジー・シーゲルが観た夢(幻想)。

     

    それは、のちにラスベガス大通り(ストリップ地区)と呼ばれることになる砂漠の1本道沿いの広大な敷地に、空前絶後の豪華リゾートを建設することだった。

     

    そう、彼が憧れたハリウッドの社交場〜週末にハリウッドスターたちが訪れ砂漠のカジノ&ホテルで夜を満喫する、そんな究極のリゾートホテル建設計画だ。

     

    ほどなく〜バグジーはラスベガス大通りに30エーカーの土地をただ同然の値段で手に入れた。

     

    「フラミンゴ・ホテル」〜バグジーの観た夢〜幻想は、翌年の1946年に早くも実現することになる。

     

     

     

     

     

     

     

    フラミンゴ・ホテル開業〜1946年

    • 2016.08.19 Friday
    • 08:01

    写真:「バグジー」こと〜ベンジャミン・シーゲル(マダム・タッソー蝋人形館)

     

     

     

     

     

    バグジーこと〜ベンジャミン・シーゲルが、

     

    ラスベガスに来た2年後の1946年。

     

    メイヤー・ランスキー率いるニューヨークのマフィア組織は、ベガスの主要カジノをほぼ全てその手中に収めていた。

     

    そして〜新ホテルの建設計画が、バグジーの主導のもと進められた。(45年)

     

    場所は当時〜ベガスの中心だったダウンタウン地区ではなく、

     

    南に約10キロ下ったラスベガス大通り沿いの砂漠の荒野。

     

    土地はすでにバグジーが買収しており〜ニューヨーク・マフィアとハリウッドのセレブ連中の共同出資により、資金を計100万$ほど集め、ネバダ・プロジェクト・コーポレーションという母体を設立。

     

    「フラミンゴ・ホテル」」の建設計画は、その年(45年)にスタート。完成すれば〜それまでのラスベガスで破格の規模となるカジノ・ホテルになるのは間違いなかった。

     

    ところが、計画は最初から順調には進まない。

     

    1945年といえば〜まだ戦時中であり建設機材が極端に不足した時代でもあった。結局〜闇から高価な値段で資材を調達することにより〜当初の見積もりはすぐに倍になってしまった。

     

    最終的にオープニングの費用も含め〜「フラミンゴ・ホテル」の建設費用は当初の6倍〜600万$にまで膨れあがった。

     

    何故?こんなにも金がかかってしまったのか?

     

    勿論〜戦時中の資材の高騰も理由のひとつではあるのだが、

     

    指揮を執ったバグジーが、資金を横領していたのだ。ネバダ・コーポレーションから支出された600万$のうち200万$は〜バグジーが横領した金額で、その金は愛人のバージニア・ヒル(愛称はフラミンゴ)が海外に隠した。

     

    ニューヨークの出資者〜マフィアたちは、バグジーによる金のごまかしを察していたが、

     

    あとに戻れない〜「フラミンゴ・ホテル」、とりあえず完成〜オープンまではバグジーを泳がせることにした。

     

    こうして〜1946年12月26日、クリスマスの翌日、

     

    「フラミンゴ・ホテル」はオープンした。

     

    バグジーが砂漠の荒野に観た幻想(ゆめ)は、かくして現実の姿となったのだ。

     

    しかし〜この時、すでにバグジーとバージニア・ヒルの運命の歯車は狂っていたのかも知れない。

     

    組織の金を横領したことにより〜バグジーとその愛人に制裁が下るという運命。

     

    その制裁とは勿論〜抹殺である。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    バグジーの死刑〜ハバナ・コンベンションにて決定!

    • 2016.08.31 Wednesday
    • 23:43

    写真:「フラミンゴ・ホテル&カジノ」〜現在の様子。

     

     

    1946年12月26日、

     

    フラミンゴ・ホテルは華々しいオープン初日を迎える予定だった。

     

    ところが、前日の大雨により空港も道路も水浸し、オープン初日は散々な結果に終わる。

     

    年をまたいだ翌47年に入っても、なぜか?フラミンゴ・ホテルは損を出し続けた。

     

    一説によると、バグジーの反対派らの工作で、カジノ・ディラーたちが収益をごまかしていたという話もある。

     

    結局〜3か月ももたずに、バグジーのフラミンゴ・ホテルは開店資金が底をつき、47年2月6日に一時休業に追い込まれてしまうのだった。

     

    その頃、キューバの首都〜ハバナでは、マフィアのボスたちが一同に会した会議が開かれていた。

     

    伝説の「ハバナ・コンベンション」だ。

     

    この会議を招集したのは、バグジーの旧友でもあり、

     

    ニューヨークマフィアの大ボス〜メイヤー・ランスキーだった。

     

    コンベンションの主要な議題のひとつは、バグジーの処遇だ。仲間に出資させてその金をごまかしていたバグジー。

     

    バグジーをラスベガスに送り込み、フラミンゴ・ホテルの計画にゴーサインを出し、資金も集めたランスキーとしては、

     

    ここで、しっかりと落とし前をつけなければならない。(しかも、フラミンゴ・ホテルはこの地点では大赤字だった。)

     

    メイヤー・ランスキーとしては、バグジーの肩を持ちたかったというのが、本音だっただろう。

     

    しかし、この時のハバナ・コンベンションでは全員一致で、バグジー・シーゲルの死刑が決定事項として確定された。

     

    1947年6月20日の夜、バグジーことベンジャミン・シーゲルはビバリーヒルズの自宅で顔面を撃たれ死亡した。

     

    皮肉なことにフラミンゴ・ホテルがようやく黒字を出し始めたタイミングでのバグジー暗殺事件だった。

     

    尚、フラミンゴことバージニア・ヒル(バグジーの愛人)のその後について〜彼女はその後、オーストリアに渡った。

     

    1966年3月24日、雪の中で謎の死を遂げていた。バクジーが横領していた金を海外に隠していたバージニア・ヒルにもやはり〜マフィア組織による制裁が下ったようだ。

     

    こうして〜ラスベガスは長きに渡り、

     

    マフィアの格好のビジネス市場として合法的に発展していった。

     

    その後〜たった1人の男が現れ、ラスベガスの街からマフィア組織を撲滅するその日まで・・・。

     

    その男の名は、

     

    ハワード・ヒューズ。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    大富豪〜ハワード・ヒューズ、ベガスのカジノを次々と買収! 1967年。

    • 2016.09.08 Thursday
    • 23:01

    写真:ラスベガス〜ストリップ地区。ハワード・ヒューズは、この街に究極の「理想郷」を創ろうとした?

     

     

     

    ハワード・ヒューズ。

     

    大富豪にしてハリウッドの映画プロデューサーでもあり、

     

    無類の飛行機好きで、自らも操縦士として数々の記録を打ち立てた。

     

    そして〜何より、ハワード・ヒューズは、バグジーや後に登場するスティーブ・ウィンたちと同じく、

     

    ラスベガスに君臨した偉大な「王様」の一人だ。

     

    まず、次に挙げるリストをご覧いただきたい。

     

    これらは、1967年にハワード・ヒューズが買収したベガスのカジノ&ホテルとその買収額だ。

     

     

    1〜デザート・イン(1,320万$)

     

    2〜サンズ・ホテル(1、460万$)

     

    3〜フロンティア・ホテル(1,400万$)

     

    4〜キャスタウェイズ(300万$)

     

    5〜シルバー・スリッパ(536万$)

     

    ベガスの所要カジノホテルをこの年(67年)、

     

    ヒューズは〜ほぼ買収し、ベガス全体のカジノ売上の4分の1を、年末の時点で手にしている。

     

    ハワード・ヒューズが唯一、買収を逃した大物ホテルは、ストリップ地区の「スターダスト・ホテル」だったが、

     

    これに関しては、独占禁止法の疑いで待ったがかかったため、見送ったという話だ。

     

    さて、

     

    ここからは〜ミステリアスな大富豪〜ハワード・ヒューズの人生と、

     

    彼がベガスの王様に君臨した時代とともに語っていきたい。

     

    特に、重要なポイントは、

     

    ハワード・ヒューズがラスベガスにもたらした革命、

     

    それは〜マフィア組織のベガスからの撲滅、撤退だ。

     

    ハワード・ヒューズの登場は〜結果的にベガスからマフィアを排除するに至ったのだ。

     

    その前にまず、ヒューズの冒険とスリルに満ちた人生をその生い立ちから見てみよう。

     

    最終的にベガスに行き着くまでのヒューズの人生は、

     

    我々〜庶民の想像を遥かに上回る数奇な物語だ。

     

    そして〜彼がラスベガスに何を創ろうとしたのか?

     

    想像してみて欲しい。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    世紀の偉人〜ハワード・ヒューズの誕生。

    • 2016.09.20 Tuesday
    • 22:59

    写真:メインストリート・ステーション〜ラスベガスに鉄道が開通した1905年に出来た旧駅舎。驚くことに現在も建物はそのまま存在している。現在〜この旧駅舎はカジノとして営業している。(ラスベガス・ダウンタウン地区)

     

     

     

     

    ハワード・ヒューズは、1905年9月24日〜テキサス州ヒューストンに生まれた。

     

    奇しくも〜ベンジャミン・シーゲル(バグジー)が生まれた年で、ソルトレークシティ〜ロサンゼルス間に鉄道が開通し、

     

    その中間にあるラスベガスが市としてスタートした年でもある。

     

    この1905年という年が、

     

    ラスベガスの歴史を振り返った時、すべてのスタートだったように思えてならない。

     

    運命の歯車が、この時から急展開し始めたのだ。

     

    話が脱線しないうちに、ハワード・ヒューズの生い立ちに話を戻そう。

     

    ハワード・ヒューズの父は、石油関連のビジネスで特許を持つ大変な資産家だった。

     

    ハワード・ヒューズは生まれながらの大富豪だった。それもとてつもないセレブの御曹司だった。

     

    しかし、不幸なことに彼が16歳の時(1922年)に母エレーヌがこの世を去ると、

     

    2年後の1924年には父のハワード・ヒューズ(シニア)も突然、死去してしまう。

     

    若干、19歳にして父の会社のオーナーになったハワード・ヒューズは、ヨーロッパに旅立つ。

     

    その時の伝説的なエピソードにこんな話がある。旅行先のベルギーのカジノで、ルーレットに挑んだヒューズが10連勝で賭け金を1000倍以上に増やしたという話だ。

     

    金持ちに生まれてくること自体〜とてつもない幸運には違いないが、それに加えてヒューズには幸運を自ら引き寄せる特別なパワーがあったのかもしれない。

     

    1925年、

     

    ハワード・ヒューズは当時〜ハリウッドに住んでいた叔父をもとを訪ね、ハリウッド周辺のカントリー・クラブに隣接する土地に移り住むことにした。

     

    そう、若きハワード・ヒューズが最初に熱中したもの〜それは映画の都ハリウッドでの映画製作だった。

     

    バグジー・シーゲルもハワード・ヒューズもハリウッドを経由した後、

     

    ベガスに行く着く辺りに、どこか共通した衝動性を感じる。

     

    バグジーもヒューズも〜ラスベガスの街に同じ夢(幻想)〜

     

    即ち〜究極の理想郷の実現を夢見ていたに違いないと〜俺は思う・・・。

     

     

     

     

     

     

     

     

    ハワード・ヒューズ〜ラスベガスに行き着くまで。

    • 2016.09.25 Sunday
    • 22:49

    ザ・ストリップ!

    写真:ラスベガス・ストリップ地区〜この街に何度も訪れる旅人やギャンブラーたちは、ここを「ラスト・リゾート」と呼ぶが、ハワード・ヒューズやバグジー・シーゲルにとっても、ラスベガスはやはり〜「ラスト・リゾート」だったに違いない。

     

     

    1925年、

     

    映画の都〜ハリウッドに移り住んだハワード・ヒューズ。

     

    この時〜ヒューズ若干、20歳という若さであったが、その潤沢な資産を武器に自ら映画製作に乗り出す。

     

    ヒューズの制作する映画は見事に成功を収め、1957年まで40本の映画をプロデュースした。

     

    コメディ作品や冒険スペクタクル、ギャングものが多く、ハワード・ヒューズがプロデュースした代表的な作品には、

     

    「2人のアラビアンナイト」、「暗黒街の顔役」、「地獄の天使」などがある。

     

    ハリウッドで映画プロデューサーとしても大成功収めたハワード・ヒューズではあったが、

     

    1932年、ヒューズは突然〜映画作りを中断し、行方を一時くらましてしまう。

     

    その後、ヒューズが没頭したのが、空を自由に飛ぶこと。つまり飛行機の操縦だった。

     

    そう、ヒューズは前人未到の飛行記録に挑む〜冒険家に転身したのだ。

     

    ヒューズはアマチュアの飛行機パイロットとなっても様々な金字塔を打ち立てた。

     

    1934年〜 全米アマチュア飛行大会で優勝。

     

    1935年〜 自作の「H−1」機で、当時の新記録となる時速〜567キロを記録。

     

    1937年〜 改良したノースロップ機で、米大陸横断無着陸の新記録を更新。

     

    1938年〜 世界一周早回りの新記録(3日と19時間16分)を打ち立てる。

     

    現在、オレゴン州に〜ヒューズが制作した超巨大な飛行機〜「ヘラクレス号」が展示されているそうだが、その巨大さを観るでけでも、ハワード・ヒューズの飛行機に対する入れ込みようが、想像出来そうだ。なんでも、その「ヘラクレス号」の片翼部分だけでもフットボール場が入るほどの大きさだという話だ。実際にヒューズが操縦して一度、飛ばしたらしい。

     

    とにかく〜

     

    ハワード・ヒューズは、ハリウッドの大物プロデューサーを経て、

     

    記録破りの飛行家としても大成功した。

     

    そして〜ハワード・ヒューズの最後に観た夢。

     

    それは当時〜マフィアに支配された煌めくネオンに彩られた〜ネバダ州の街だった。

     

    ラスベガス・・・。

     

    ヒューズは、この街に究極の理想郷を作ることを夢見たのだ。

     

    時、1967年〜ハワード・ヒューズ、すでに62歳の時であった。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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