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    ハワード・ヒューズがたどり着いた最後の理想郷〜ラスベガス!

    • 2016.10.02 Sunday
    • 22:08

    写真:ベガスで現存する最も古いカジノのひとつ〜「ゴールデン・ゲート」。かつての「理想郷」の面影を今に残す数少ない〜ラスベガスの生き証人でもある。カジノ・フロアのシブい雰囲気が大好きだね!

     

     

     

     

     

    大富豪〜ハワード・ヒューズ。

     

    彼がラスベガスの王として君臨した時代(1967年〜1970年)は、

     

    わずかに4年余りの短い期間であったが、

     

    ラスベガスという街において、ヒューズがもたらした変革、その影響ははかりしれない。

     

    大富豪のヒューズが、

     

    仮にラスベガスという街(カジノ業界)を、人生における最後のビッグビジネスの場、

     

    投資先として選ばなかったらならば〜

     

    ベガスは21世紀の今日も胡散臭いマフィア組織が裏で手を引く怖い街のままだった可能性があるのだ。

     

    ハワード・ヒューズは圧倒的な資産をフルに活用し、

     

    当時、メジャーだったベガス中心部のカジノ・ホテルをほぼ全て買収することに成功した。

     

    そして、非常にストイックな拘りを掲げていた。

     

    彼は、「ラスベガスのカジノ業界を、ニューヨークの株取引所のように信頼でき尊敬される対象に変えたい。」

     

    と〜思っていたのだ。

     

    その結果〜ベガスの街からマフィア組織を撲滅する結果となったのだ。

     

    しかし、ヒューズのやり方はかなり強引だった。州知事や上院議員、ラスベガス市長などをあり余る資金によってコントロールし、ラスベガスを自らの「理想郷」に変えてしまったのだ。

     

    結果〜マフィア組織が資金参入出来ない規模にまでベガスのカジノ業界自体が巨大になった。

     

    ハワード・ヒューズが結果的に、ベガスの街を変えた。

     

    マフィアを追い出した。

     

    それは、確かに事実だし、大きな功績だろう。

     

    ただ、「結果的に〜」というアクセントを付ける意味は、

     

    ヒューズが必ずしも、マフィアをベガスから一掃しようとは思っていなかった節が強いからだ。

     

    必要とあれば〜ヒューズは多分〜マフィア連中とも共存しただろう。

     

    ハワード・ヒューズは1970年にベガスから離れ、その後〜1976年に71歳で亡くなるまで、

     

    バンクーバー、ロンドン、南米と行方をくらますようにして、晩年を過ごしたという。

     

    いずれにしても、

     

    ハワード・ヒューズは〜間違いなく〜超人レベルの偉人だった。

     

    そして、

     

    彼はベガスの街に君臨した偉大な「王様」のひとりだ。

     

    次回からは、いよいよ〜スティーブ・ウィン〜現代のラスベガスの王様について話を進めていくつもりだ。

     

    バグジー・シーゲル、

     

    ハワード・ヒューズ、

     

    そして〜

     

    スティーブ・ウィンという

     

    ラスベガスに君臨した3人の「王様」にスポットを当てながら展開してゆくのが、

     

    この章〜「ヒストリー・オブ・ラスベガス」のコンセプトでもある。

     

    スティーブ・ウィンの登場から現代までのストーリーもバグジーやヒューズにも勝るとも劣らないほど、

     

    魅力的だ!!!

     

    スティーブ・ウィンの人生そのものが、とてつもなく華麗なひとつのドラマと言える。

     

    彼の人生もまた〜シドニー・シェルダンの小説の主人公ばりに痛快でドラマティックだと思う。

     

     

     

     

     

     

    キング・オブ・ラスベガス〜スティーブ・ウィン!

    • 2016.10.12 Wednesday
    • 22:59

    写真:ゴールデン・ナゲット(ラスベガス・ダウンタウン地区)〜1973年、歴史的なこのホテルの買収に成功した若きスティーブ・ウィン(当時31歳)は、ここからベガスの王〜「キング・オブ・ラスベガス」としての大きな一歩を踏み出した。

     

     

     

     

    ラスベガスという街の誕生から、

     

    マフィアのバグジー・シーゲルが暗躍した時代、

     

    そして、実業家のハワード・ヒューズがベガスのカジノホテルを次々と買収し、

     

    街からマフィアを一掃するに至った経緯をこれまでに語ってきたが、

     

    ここからの主役は、

     

    スティーブ・ウィンだ!

     

    そう、1970年代の始め以降、現在までラスベガスの王様として君臨する男の話である。

     

    日本でも最近、ドナルド・トランプ(共和党の大統領候補)がすっかり有名になったが、

     

    スティーブ・ウィンもアメリカ人の間では、ホテル王としてトランプと同じくらいは有名だろう。

     

    いや、むしろ同じ知名度であれば、ウィンの方が遥かにトランプよりか尊敬されているかもしれない。

     

    スティーブ・ウィンはホテル業界(カジノ業界)の革命児で、

     

    ラスベガスの街を大きく変えた。街全体を巨大なテーマパークに変えてしまったのだ。

     

    まずは〜ウィンの生い立ちから順々に辿っていくつもりだが、

     

    その前にスティーブ・ウィンの主な時代年表を記しておこう。

     

    1942年〜コネチカット州ニューヘイブン生まれ。

     

    1953年〜父マイクに連れられ、初めてラスベガスを訪れる。

     

    1967年〜ラスベガスのフロンティアのホテルの株を3%取得。

     

    1969年〜酒卸売業〜「ベスト・ブランド」を開業。

     

    1973年〜ラスベガス・ダウンタウン地区にある高級ホテル〜「ゴールデン・ナゲット」の社長に就任。

     

    1989年〜ラスベガス・ストリップ地区にカジノ・リゾート〜「ミラージュ」(3044室)をオープン。

     

    1993年〜ラスベガス・ストリップ地区にカジノ・リゾート〜「トレジャー・アイランド」(2981室)をオープン。

     

    1998年〜ラスベガス・ストリップ地区にカジノ・リゾート〜「ベラージオ」(3934室)をオープン。

     

    2005年〜ラスベガス・ストリップ地区にカジノ・リゾート〜「ウィン・ラスベガス」(2716室)をオープン。

     

     

    それでは、

     

    スティーブ・ウィンの華麗な人生をたどりながら、

     

    同時にラスベガスの現代史にじっくり触れていくとしよう。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    スティーブ・ウィンの生い立ち。

    • 2016.10.18 Tuesday
    • 00:08

    写真:「ベラージオ・ホテル」〜ホテル王・スティーブ・ウィンの最高傑作にしてラスベガスの顔ですね!

     

     

     

    スティーブ・ウィンは1942年1月27日、

     

    コネティカット州ニューヘヴンにおいて、父マイク、母ゼルマの長男として生まれた。

     

    ウィンの人生に最も強い影響を与えた父のマイク・ウィンは旅芸人をしていたらしく、若い頃から定住の地をもたなかったが、

     

    東海岸を中心にビンゴゲームを主催する賭博場を7州にわたり経営していた。

     

    1953年〜息子のウィンが10歳の時、父のマイクは人生最大の大勝負に出る。

     

    そう、スティーブを連れてラスベガスにやってきたのだ。

     

    父のマイクは、ラスベガスにビンゴホールを経営し始めたのだ。場所は〜「ラストフロンティア・ホテル」の付属のシルヴァー・スリッパという小さなカジノだった。

     

    しかし、マイク・ウィンは〜ネバダ州のゲームコントロール委員会の審査をパスできず、ビンゴホールの経営に失敗してしまう。

     

    近くに強力なビンゴホールをオープンしたカジノ〜「ゴールデン・ナゲット」もマイク・ウィンの商売が失敗した大きな要因だと言われている。

     

    父マイクの商売敵とも言える〜「ゴールデン・ナゲット」を20年後の1973年、息子のウィンが乗っ取るのだから、

     

    因縁深いというか、ドラマティックというか、まるで映画か小説みたいな物語だとつくづく思ってしまう。

     

    ベガスでのビンゴホールの経営に失敗した父マイク・ウィンと息子のスティーブは東海岸に戻るのだが、

     

    この時のベガスでの滞在が、スティーブ・ウィン少年にとって、生涯忘れられない体験となった。

     

    そう、1953年〜ラスベガスに父親と滞在した10歳の少年は、それから20年後の1973年〜ラスベガスの「若き王」として君臨することになるのだった。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    華麗なるラスベガスのキング〜スティーブ・ウィンの青年時代。

    • 2016.11.07 Monday
    • 22:52

    モブ・ミュージアム

    写真:「モブ・ミュージアム」〜ラスベガス・ダウンタウン地区にあるマフィアの博物館。ラスベガス(ギャンブル)とマフィアの繋がりを知る上で是非〜一度は訪れて欲しい場所である。

     

     

     

     

    1953年、10歳のスティーブ・ウィンが、父親とラスベガスに初めて訪れた時から10年後、

     

    1963年〜父マイク・ウィンは東海岸を中心に7州にわたるビンゴホールを経営していたのだが、この年〜マイク・ウィンはリウマチ熱を併発した心臓欠陥の手術中に死亡してしまう。享年46歳という若さだった。

     

    息子のスティーブ・ウィンは、ペンシルバニア大学英文学部の学生であったにも関わらず突如、父マイクの商売を引き継ぐことになったため、学業をやめてしまう。ただし、父から引き継いだビンゴホールには20万$という莫大な借金があった。

     

    しかし〜父が遺したのは、20万$の借金だけではなかった。若きビンゴホールの経営者となったスティーブ・ウィンは、父の人脈も同時に引き継いだのだ。ギャンブル業界や裏社会とのコネも手に入れたのだ。

     

    1967年〜スティーブ・ウィン25歳の時、とある人脈からラスベガスにあるホテル株入手の話が紹介される。

     

    名称を変えたばかりの「フロンティア・ホテル」の株購入の話、スティーブ・ウィンは4万5000$を出資して3%の株主となる。

     

    これが、スティーブ・ウィンのラスベガス進出の第一歩となる。

     

    スティーブ・ウィンがラスベガスの「フロンティア・ホテル」の株を取得したわずか4か月後、大富豪のハワード・ヒューズが「フロンティア・ホテル」を1,400万$で買収。3%の株主であったスティーブ・ウィンの元手は、たったの4か月で約10倍の42万$まで膨れ上がったのだ。

     

    さて、大金を手にしたスティーブであったが、同時にベガスでの生活基盤をなくしてしまった訳で、そこで登場してくるのが、その後のスティーブ・ウィンにとって大切な友人となる銀行家のペリー・トーマス氏だ。

     

    彼の斡旋によって、スティーブ・ウィンはラスベガスで酒類卸売り会社〜ベスト・ブランド社を買い取り、しばらくこの商売に専念することになるのだが、若きスティーブ・ウィンはこの商売でラスベガスにおける重要な情報ソースやコネクションを手にする。このベスト・ブランド社をスティーブ・ウィンは1971年に売却するのだが、ここで得た信頼と数々のコネクションはスティーブ・ウィンのラスベガスでの成功をある意味で約束する形となるのであった。

     

    ベスト・ブランド社時代に知り合ったキーパーソンを通じて、ハワード・ヒューズ所有の当時「シーザースパレス」の駐車場として借りていた土地1・1エーカーを110万$で購入することに成功したウィンは、翌1972年〜この駐車場を「シーザースパレス」に225万$で売却する。保証人へのお礼を差し引いても、76万6000$の儲けだった。

     

    1967年に僅か〜4万5000$の出資でラスベガスに乗り込んだ若き青年実業家〜スティーブ・ウィンは、

     

    たったの5年足らずの間にその資金を約17倍の76万6000$にまで増やしたのだ。

     

    勿論〜時代的な背景(マフィア組織とのコネ)や運も味方しただろう。

     

    でも、

     

    やはり〜スティーブ・ウィンは、持っていたといえるだろう!

     

    たたのラッキーな若者ではなかったということだ。

     

    そう、彼には備わっていたんです。

     

    ラスベガスの「王様」として頂点まで登り詰めるだけの確かな資質が、ベストなタイミングで呼応した。

     

    そして、ここから〜いよいよ本格的なスティーブ・ウィンの時代が到来する。

     

    そう〜1973年〜伝説の「ゴールデン・ナゲット乗っ取り!」から、

     

    スティーブ・ウィンによるラスベガスの新時代が幕開けするのだ!

     

    確かに、スティーブ・ウィンは現代のラスベガスに君臨する偉大な「王様」だ。

     

    その成功に至るプロセスもまるで〜映画や小説の主人公の様に華麗だ。

     

    しかし〜彼がラスベガスの王として君臨するまでの過程で、決して〜綺麗ごとだけではまかり通らないほどのドラマがあった。

     

    なにしろ〜時代は1970年代のラスベガスだ!

     

    マフィア組織がカジノ業界を牛耳っていた70年代のラスベガスという街で、東部出身の青年実業家〜スティーブ・ウィンがいかにして、この街で成功し、「王様」になったのか?

     

    次回以降の〜「ヒストリー・オブ・ラスベガス」では、その実像に迫りたいと思う。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    伝説の「ラスベガス・ゴールデン・ナゲット乗っ取り」事件〜1973年。

    • 2016.11.19 Saturday
    • 00:11

    写真:スティーブ・ウィンのラスベガスでの成功は、このゴールデン・ナゲット・カジノ〜乗っ取りから始まった。庶民的な規模のホテルやカジノが並ぶベガス・ダウンタウン地区の中で、一際〜ゴジャースな存在だ。(写真中央)

     

     

    ラスベガスに実業家としての足場を、ようやく固めたつつあった1969年。

     

    スティーブ・ウィンはラスベガスにある高級カジノ〜「ゴールデン・ナゲット」の株を1万4000株取得。

     

    「ゴールデン・ナゲット」と言えば、そう〜亡き父親、マイク・ウィンのビンゴホールの商売を阻んだ憎き商売敵でもある。

     

    若き日のスティーブ・ウィンが父親の商売を破産に追い込んだゴールデン・ナゲットに対して、

     

    どんな気持ちであったのか?想像は出来ないが、どこか〜運命めいたドラマティックな気分にならずにはいられない。

     

    ちょうど〜この時期(1969年)は、大富豪〜ハワード・ヒューズのラスベガス進出の効果もあって、ホテル株の売買が自由化された頃でもあったことも付け加えておく。

     

    その後1971年、更にスティーブ・ウィンは同カジノの株を4000株、翌72年には9万2000株を購入。5.5%の株式保有者となる。カジノ・オーナーとして1ランク上のライセンス取得が必要となり、申請し、1973年に正式に許可された。

     

    そう、この地点で〜スティーブ・ウィンは、ラスベガスでも有数の高級カジノ〜「ゴールデン・ナゲット」のオーナーになった。

     

    これが世に言う伝説の「ゴールデン・ナゲット乗っ取り」事件だ。

     

    一介の株主でしかなかったスティーブ・ウィンが、ゴールデン・ナゲットの乗っ取り(正式なオーナー)に踏み込んだ背景にはカジノ業界にありがちなブラックな事情(横領、着服、不正、癒着)を把握していたからで、当時のゴールデン・ナゲットもその例外ではなく〜直ちにカジノ内部の腐敗を一掃する必要性を感じていたからであった。ゴールデン・ナゲットは、一部のカジノ従業員らの不正により内部からまさに腐敗していたのだ。

     

    それは〜スティーブ・ウィンがベスト・ブランド社で酒の販売をしていた時にある友人から聞いた話が起因していた。

     

    「毎朝、ゴールデン・ナゲットのバーで、カジノ従業員たちが多額の現金を抜いているぞ。」

     

    不正を止めるには、スティーブ・ウィン自らがオーナーとなって権限を行使するしかない。

     

    1973年8月1日、株主総会にてスティーブ・ウィンはゴールデン・ナゲットの正式な社長に就任した。

     

    同カジノで不正に関わっていた従業員〜160名を解雇処分とし、新たにホテル棟(579室)を建設。

     

    スティーブ・ウィンが「ゴールデン・ナゲット」の社長に就任して以降、同カジノの収益はそれ以前の7倍まで増えた。

     

    スティーブ・ウィンによる「ゴールデン・ナゲット乗っ取り」は、まさしく〜大成功だった!

     

    スティーブ・ウィン、この時〜若干31歳という若さであった。

     

    父の商売を破産に追い込んだ商売敵を完全に乗っ取った挙句に〜

     

    その商売敵であるカジノを完全なる自分の「城」に変えてしまったのだ!恐るべし執念の持ち主か〜余程、ラッキーな若僧だったのか、はたまた〜天才だったのか、多分〜スティーブ・ウィンは、その全てを持ち合わせていたのだろう。

     

    スティーブ・ウィンの実業家としての名声は、

     

    この「ゴールデン・ナゲット乗っ取り」というラスベガスにおける歴史的な事件によって、

     

    決定的なものとなった。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    アトランティック・シティに進出〜1980年。

    • 2016.11.22 Tuesday
    • 22:31

    写真:フランク・シナトラ(左)とディーン・マーチン(右)。ラスベガスゆかりの大スターは沢山いるが、最も長く〜ラスベガスで輝いたスターは、フランク・シナトラなのでは? スティーブ・ウィンとの契約で「ゴールデン・ナゲット」に返り咲いたのもシナトラのキャリア後半を華麗に彩った出来事だっただろう。

     

     

     

     

     

    ラスベガスで「ゴールデン・ナゲット」の買収に成功し、

     

    社長として経営手腕を見事に発揮したスティーブ・ウィンは一躍、カジノ業界の寵児となった。

     

    1976年、ニュージャージー州アトランティック・シティで、

     

    カジノ合法化法案が議会を通過、スティーブ・ウィンは新たなビジネス・チャンスをアトランティック・シティに賭けた。

     

    アトランティック・シティを訪れたこの年(1976年)、ウィンは海岸沿いの「ストランド・モーテル」を、

     

    850万$で購入すると、その場所に「アトランティック・シティ・ゴールデン・ナゲット」(522室)を建設した。オープンしたのは1980年12月。

     

    「アトランティック・シティ・ゴールデン・ナゲット」も見事に大ヒットした。初年度の売上は1億8、320万$を記録した。

     

    1982年には、アトランティック・シティの「リゾート・インターナショナル・ホテル」に出演中だった歌手〜フランク・シナトラを引き抜き〜「ゴールデン・ナゲット」との間に3年契約を結ぶことに成功した。これは〜少し余談になるのだが、当時のシナトラはアルコール依存症で歌手としても相当な落ち目だった。実際〜当時のシナトラは、ラスベガスでは〜ハワード・ヒューズの「サンズ・ホテル」から干されて〜アトランティック・シティで渋々〜毎夜歌っていたのだ。ウィンによるシナトラの復活〜ラスベガスのゴールデン・ナゲットのステージに上げる試みが当然の如く〜大成功したことは、後に語るまでもない話だが〜やはり、スティーブ・ウィンとフランク・シナトラとの間には〜何か特別な信頼と友情が存在していたのだろう。シナトラもまた〜ラスベガスの舞台でスターとしてのカムバックを見事に果たしたのだから〜実にあっぱれな話ではないか?!

     

    大成功した「アトランティック・シティ〜ゴールデン・ナゲット」だが、1986年、4億4、000万$でバリー・ホテルに突如〜売却された。

     

    スティーブ・ウィンには、すでに次の計画があったのだ。

     

    アトランティック・シティでの儲け(2億6、000万$)を元手に、金融ブローカーのマイケル・ミルケンから10億$の資金調達に成功したウィンは、すべてのノウハウを結集した究極のカジノ・リゾートの建設計画に着手する。

     

    場所はラスベガス大通り〜即ちストリップ地区だ。しかも、なんと「シーザーズ・パレス」の隣だ!ラスベガスで最高のホテルの隣に遥かにそれを凌駕する究極のメガ・リゾート・ホテルを出現させる!?

     

    当時の常識では、当然〜無謀な試みに思えた。「シーザーズ・パレス」を凌駕するカジノなんて作れるはずがないって〜誰もがそう思ったに違いない・・・。

     

    スティーブ・ウィン自身はカジノの経営者ながら、一切のギャンブルはやらないという話だ。

     

     

    もっと遥かに壮大な賭けをしながら、その人生を生きてきた人物のように思えてならない。そんな彼にとって、ゲームとしてのギャンブルなんか〜きっと、退屈でしかないのだろう。

     

    そう、

     

    スティーブ・ウィンが次に考えたのは〜究極のメガ・リゾート・ホテル、

     

    「ミラージュ」の実現だった!!!

     

     

     

     

    ラスベガスに新時代〜到来、ミラージュ・ホテル開業!(1989年)

    • 2016.11.23 Wednesday
    • 22:16

     

    写真:「ミラージュ・ホテル」〜スティーブ・ウィンが満を持してオープンしたこのメガ・リゾートは、カジノやホテル業界のあり方を全く新しいものに変えてしまった。

     

     

     

    1989年、ラスベガス大通り(ストリップ地区)に巨大なメガ・リゾート・ホテル〜「ザ・ミラージュ」が、

     

    実業家〜スティーブ・ウィンの手により開業した。

     

    スティーブ・ウィンにとって〜ストリップ地区で初となる「ザ・ミラージュ」は、「南国のパラダイス」をコンセプトにした巨大なテーマパークのようなカジノ・リゾートである。客室数〜3,044室を誇る超巨大ホテルの正面には、人口火山がほぼ毎時間ごとに噴火するという徹底したコンセプトに拘っており、ラスベガス大通りの客寄せにも一役買っている。

     

    「ミラージュ・ホテル」の出現以降、

     

    ラスベガスの街が大きく変わったのは、言うまでもなく〜それまで、胡散臭いギャンブル好きたちが集まる街というイメージだったラスベガスを、まるでディズニーランドのような子供から大人まで楽しめる一大テーマパークに変えただけでなく、最もリピーター率の高い愛される街〜エンターテインメント・シティへと変貌させたのだ。

     

    「ミラージュ・ホテル」がラスベガスの歴史上〜特別なホテルなのは、そのゴージャスさだけにはとどまらない。徹底したホスピタリティ、もう一度ここへきたいと思わせる仕掛けにおいて画期的だったのだ。

     

    例えば〜無料アトラクションの「人口火山」もそうだが、隣の「シーザースパレス」との間に無料のトラム(動く歩道)を設置したことも大きい。現在のラスベガスでは無料のアトラクションもホテル間の無料のトラムも当たり前になっているが、これらは全てスティーブ・ウィンが最初に導入したサービスだ。更にウィンは客足の減っていたダウンタウン地区のホテル街(フリーモント・ストリート)を電飾アーケイドで覆うという計画にも資金を提供した。「フリーモント・エクスペリエンス」と名付けられた電飾アーケードは、1994年に完成し閑古鳥が鳴いていた古いカジノ街に客足を戻すことにも成功した。

     

    1989年の「ザ・ミラージュ」の誕生以降、ラスベガス大通り(ストリップ地区)には、相次いで巨大なメガ・リゾートが次々と誕生し、今現在もそれがラスベガスのホテルのスタンダード(お手本)になっている。

     

    1989年〜「ザ・ミラージュ」〜(3、044室)テーマ〜「南国のパラダイス」

     

    1990年〜「エクスカリバー」〜(4、008室)テーマ〜「中世(騎士)」

     

    1993年〜「トレジャー・アイランド」〜(2、891室)テーマ〜「宝島」

     

    1993年〜「ラクソー」〜(4,476室)テーマ〜「古代エジプト」

     

    1993年〜「MGMグランド」〜(5、005室)テーマ〜「オズの魔法使い」

     

    1996年〜「モンテカルロ」〜(3,002室)テーマ〜「地中海」

     

    1997年〜「ニューヨーク・ニューヨーク」〜(2,035室)テーマ〜「マンハッタン」

     

    1997年〜「ハラーズ」〜(2、700室)テーマ〜「カーニヴァル」

     

    1998年〜「ベラージオ」〜(3,005室)テーマ〜「イタリア・コモ湖」

     

    1999年〜「マンダレイ・ベイ」〜(3,700室)テーマ〜「南洋パラダイス」

     

    1999年〜「ヴェネシアン」〜(3、000室)テーマ〜「イタリア・ヴェニス運河」

     

    1999年〜「パリス」〜(2900室)テーマ〜「フランス・パリ」

     

    「ミラージュ・ホテル」開業以降の10年間で、ストリップ地区は大型カジノの建設ラッシュ、開業ラッシュが相次いだ。

     

    スティーブ・ウィンのもたらした常識破りの大成功〜それこそがカジノ業界のスタンダード(お手本)となり、結果的にラスベガス全体の繁栄にもつながったという意味でも、

     

    やはり〜スティーブ・ウィンこそが〜本当のラスベガスの王様、

     

    「キング・オブ・ラスベガス」の称号に最もふさわしい人物だろう。

     

    全米(各州)でカジノ解禁の動き〜1989年以降。

    • 2016.12.02 Friday
    • 00:23

    写真:「トレジャー・アイランド」〜スティーブ・ウィンが1993年にオープンしたラスベガス大通り(ストリップ地区)の大型カジノ・ホテル。大通り沿いで行われる無料の海賊船のショーは、圧巻です!!! 

     

     

     

     

    「ミラージュ・ホテル」がラスベガスで誕生した1989年。

     

    この年は、アメリカのギャンブル史において歴史的な出来事が頻発した年でもあった。

     

    サウスダコタ州において、アトランティック・シティ以後初めてのカジノが誕生し、100年近く途絶えていた船上カジノ法案がアイオワ州、イリノイ州でも通過。全米規模で〜次々と各州がカジノ解禁に向けて動き出したのだ。

     

    インディアン自治区においても一部〜ギャンブルが解禁され、今では〜カジノでの収益が彼ら(ネイティブ・アメリカン)の大切な収入源になっているのは、もはやいうまでもない。

     

    ラスベガスでは、「ミラージュ・ホテル」の誕生以降、大型ホテル&カジノの開業ラッシュが相次ぎ〜ラスベガス大通り(ストリップ通り)は、瞬く間に〜メガ・リゾートホテルが建ち並ぶ世界一のカジノ・シティへと変貌を遂げた。

     

    そして、「ミラージュ・ホテル」の仕掛け人〜スティーブ・ウィンは?

     

    若きラスベガスの王〜スティーブ・ウィンには更なる展望があった。

     

    1991年〜「ミラージュ・ホテル」の隣接地に新しいホテルの建設を発表した。 勿論、コンセプトに沿った巨大なテーマ・パーク・ホテルだ。最終的に新ホテルの名前は〜「トレジャー・アイランド」に決定。

     

    1993年〜スティーブ・ウィンによるラスベガスの新ホテル〜「トレジャー・アイランド」のオープン・セレモニーは主要ネットを通じて全米にTV放送された。

     

    宝島をテーマにした「トレジャー・アイランド」は、ホテルの前庭(ラスベガス大通り(ストリップ通り)沿い)で、華々しい海賊船の無料ショーが超ド迫力(圧巻!)だが、スティーブ・ウィンの仕掛けはこれだけにとどまらなかった。

     

    買い取ったばかりの〜「デューンズ・ホテル」を「トレジャー・アイランド」のオープング・セレモニーのカウントダウンと連動させ、爆破解体させたのだ。

     

    スティーブ・ウィンの手により、良くも悪くもかつてのラスベガスの象徴でもあった老舗カジノ〜「デューンズ・ホテル」が崩れ落ちた瞬間、

     

    ラスベガスのひとつの歴史が終焉を迎え、新しい時代の幕開けとなった。

     

    そして〜スティーブ・ウィンは〜それから5年後の1998年、

     

    「デューンズ・ホテル」の跡地に現在のラスベガスの象徴ともいえるべき〜究極のメガ・リゾートホテルを建設することになる。

     

    そう、ラスト・リゾート。

     

    「ベラージオ」だ。

     

    スティーブ・ウィンの最高傑作にして、世界最高のカジノ・リゾート〜「ベラージオ」の誕生だ!!!

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    ラスト・リゾート〜「ベラージオ」の誕生〜1998年。

    • 2017.02.10 Friday
    • 10:02

    ザ・ストリップ!

    写真:「ベラージオ」〜ラスベガスで最高のカジノ・リゾート。大通りに面した巨大な人口池(イタリアのコモ湖がモデル)で、毎夜15分ごとに行われる無料の噴水ショーは必見の価値ありです。まあ〜ラスベガスのストリップ通りを歩けば、誰もが一度は目にするだろうと思うのだが、毎晩観ても〜感動するから凄いね!(笑)

     

     

     

     

    1998年11月、スティーブ・ウィンは既に購入したデューンズ・ホテルの広大な跡地に新しいリゾートカジノを誕生させた。

     

    そう、このカジノ・リゾートこそが現代のラスベガスの象徴であり中心とも言える〜まさに究極のラスト・リゾート、

     

    スティーブ・ウィンの最高傑作〜「ベラージオ」だ!

     

    よくラスベガスのガイド本などを読んでいると、

     

    どこそこのモールまでベラージオから徒歩何分、若しくは車で何分と書かれていることが多い。

     

    特に日本語のガイドブックなどは、その傾向が顕著で日本人のベガス旅行者にとっては、特に人気が高くまたランドマーク的な存在になりつつある「ベラージオ」。

     

    勿論〜日本からの旅行者以外にとっても「ベラージオ」が特別豪華で、全ての人を楽しませるという徹底したコンセプトとホスピタリティがベガスの名だたる豪華リゾートの中でも突出している点では、「ベラージオ」こそが名実ともに現代のラスベガスで最高のカジノ・リゾートであることに疑問の余地はないように思える。

     

    なぜなら〜この豪華リゾートは、現代のラスベガスに共存共栄の哲学を持ち込んだスティーブ・ウィンの最高傑作だからだ。

     

    「キング・オブ・ラスベガス」〜スティーブ・ウィンのラスト・リゾート。

     

    それが〜「ベラージオ」だ。

     

    その後〜2005年にもウィンは同じストリップ通りに「ウィン・リゾート」を開業しているが、

     

    豪華さやコンセプトに於いては、やはり〜ベラージオに軍配があがるだろう。

     

     

     

     

     

    VIVA! LAS VEGAS!!!

    • 2017.02.27 Monday
    • 23:01

    写真〜「MGMグランド・ホテル」〜総客室数5、000室以上を誇る世界最大級規模のメガ・リゾート。まさにラスベガスの主役といっても過言ではない。(2012年〜撮影。)

     

     

     

     

    「ヒストリー・オブ・ラスベガス」〜最終回の今日は、本章のコンセプトからはやや外れるが、

     

    私個人がラスベガスという街に抱く想いを中心に語ろうと思う。

     

    よく人にラスベガスについて話すと、

     

    反応は大体2つに分かれる。ひとつは〜「大好き!」でもう一方は「あんなインチキ臭い街最低だ!」という明らかな嫌悪感。

     

    好き嫌いが、人によって大きく分かれる街でもある。私〜個人は勿論、ラスベガス大好き人間だ。

     

    1998年以降〜2012年までの間、合計7回〜トータルでおそらくは4か月以上はラスベガスの街に滞在した計算になる。

     

    特別〜ギャンブル好きなわけでもない私が、何故〜ここまでラスベガスの街に魅かれたのか?

     

    ひとつには、乾燥していて温暖な気候がこの上なく気持ちいいということ。

     

    そして〜ラスベガスを拠点にすると〜西海岸の主要都市(ロサンゼルス、サンフランシスコ、シアトルなど)や自然遺産(グランド・サークル一帯)や南部の都市などへもアクセスしやすいというのがある。 ラスベガスを拠点に長距離バスで周遊する個人旅行を何度も行ったが、とても旅行しやすかった。1998年に初めてラスベガスを訪れた時、グランド・サークル一帯を巡る旅行の行き帰りに一晩立ち寄っただけの街だったのだが、当時住んでいたロサンゼルスよりも遥かにエキサイティングでおもちゃ箱みたいな感じがした。あのバカバカしさと徹底したエンタテインメントとしての街の喧騒と華やかさに一発で魅了されてしまって以来〜ラスベガスが私の旅の拠点になった。

     

    自由の女神もピラミッドもコモ湖もエッフェル塔も全部がニセモノ。(笑)

     

    ある意味〜で一番、アメリカらしい街だといえる。移民が形成したこの国には本物の文化や古い歴史というものが存在しない。

     

    そんな風に考えると〜ラスベガスという街は、歴史が浅いアメリカという国において特異かつシンボル的な街だ。

     

    歴史も文化も浅いので、適当にピラミッドやエッフェル塔もどきを作っちゃいました。みたいなぶっ壊れたノリがなんともアメリカ人らしくて楽しいではないか!(笑)

     

    日本でも近年〜カジノ解禁の議論と動きがあるようだが、

     

    ラスベガスのように最高にクレイジーでイカしたエンターテインメントの街が日本にも出現するとは思えない。

     

    かつて砂漠の荒野だったラスベガスがそうだったように、不毛な砂漠の荒野に鉄道が通り、そこに宿場町が出来て、やがて〜街として発展してゆく。近くに巨大なダムや軍の基地が建設され街にはやがて娯楽産業中心のカジノ・リゾートが出現する。

     

    ラスベガスという街の誕生は、ある意味で必然だった。

     

    必然的に誕生したカジノの街。

     

    これほど特殊でありながら〜

     

    唯一無二の輝きを放ち続ける街は、

     

    世界でもラスベガスの他には存在しないだろう。

     

    最後に、

     

    この章〜「ヒストリー・オブ・ラスベガス」は、通常の「アメリカ放浪記」の旅日記とは違い日本に居ながらにしてラスベガスの歴史を紐解く過程で沢山の資料等を参照しながら記事を更新するという作業はとても〜エキサイティングで楽しいものだった。

     

    最後まで読んで頂き、

     

    本当にありがとうございました。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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